2010年09月15日
オッぺケぺー節だけではない!・・・・ひとくちメモ
来年は川上音二郎没後100年
意外と知られていない業績も・・・
川端商店街入り口に、オッぺケペー節を演じている
川上音二郎の銅像、ご存知の方も多いのでは?
名前だけは・・・オッぺケペー節で自由民権を唄にした人・・?
それだけでは勿体ない。破天荒の47年の人生のほんの一部を・・
博多に生まれた音二郎は14歳で家出。大阪で落語の弟子入りをして
浮世亭○○を名乗り「オッぺケペー節」で売り出す。
その後、自分の一座を率いて東京に出て「板垣君遭難実記」で大当たり
この頃、伊藤博文らが贔屓の「貞奴」と結婚。ここらの話はご存知の方も・・
大当たりして手に入れた大金は騙し取られてすっからかん、手漕ぎボートで
太平洋に乗り出すが・・?? その後も波乱万丈な生き方・・
一座を連れて、アメリカ・イギリス・各国を巡演しながらパリ万博へ
無一文になる時も、名優や政治家・芸術家・錚錚たる方々との
親交により、外国の演劇を吸収していった。
しかし、日本に帰ってくれば演劇の世界では、旅芸人。
歌舞伎の権威から見れば、天と地の差がある世界
明治時代の演劇界を色濃く感じられます。
今の時代、近代演劇の開拓に先駆的な人物だったと大きく評価されています。
音二郎の、叩かれ潰されても、新しい演劇に挑戦できる行動力と運
日本初の女優・貞奴のパートナーの強さにも感じるものがあります。
遺言により「承天寺」に葬られた音二郎
福博の異色の文化人の一人だと、私の尊敬する某先生の講座から
音二郎のほんの一部を紹介しました。
Posted by アランカ at 22:14│Comments(0)
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